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 私の料理論 (概論)

作成:1995/10/01, 改訂: 1998/01/15

 会社での私は、製造メーカーの技術者という位置づけである。私の勤務している会社は、通常の機械系製造会社とは異なり無機材料を主体とする耐火物やファインセラミックスを製造するメーカーである。耐火物といっても通常の方にはピンとこないと思う。耐火物とは狭義には煉瓦を意味するが、暖炉などに用いられている煉瓦とはその技術レベルが異なる。溶鋼(溶けた鉄)を受ける容器や治具に用いる煉瓦を製造している。この煉瓦は1400℃〜1700℃以上もの高温に耐える必要があり、煉瓦を作るためには、最高で1800℃以上もの高温で焼成する。通常の茶碗などの焼き物の世界では、せいぜい1100〜1300℃での温度での焼成であるからその温度の差は明瞭であろう。高温を取り扱うことから、その製造技術は高度な技術の塊でもある。またファインセラミックスでは、材料によってはこの焼成温度が2400℃にもなる場合もある。私は1993年3月まではファインセラミックスの材料開発、プロセス開発に従事していた。1990年までは典型的なワーカーホリックで毎晩22時〜午前様はしょっちゅうの生活であった。開発が面白いのである。

 そんな技術者として典型的(?)な生活から、ある日突然、料理・家事を必然的にせざるを得なくなった。この料理に正面からぶつかざるを得ない事態に直面した時考えたことは、いかにシステマチックに短期間で料理をマスターするか、ということであった。巷にあふれるばかりのレシピ集は正直いって私の感覚にはマッチしていない。何故ならば料理に関するWhyについては一切触れられず、How Toのみが述べられているからである。つまり仕事で言えば配合だけがあり、その他の技術であるプロセス技術(焼き方とか混ぜ方など)があまり重要視されていない。

 材料開発あるいはプロセス開発の経験上重要なことは、その物事の原理原則をいかに早く把握できるか、にかかわっていると私は考えている。そのWhyを知れば、その後の対処療法的なHow Toというものはおのずと導かれるものでありかつ応用が効くはずだ。料理についても同様な発想で望んだ。材料開発と同様な発想が料理にも適用できるだろう、ということは以前から感じてはいたが、よもやそれを自分自身が応用しようとはまったく思っていなかった。例えその機会があったとしても、その応用に費やす時間を私は仕事にまわしていたと思う。しかし今回は自分の家庭を守る為にもその応用に費やす必然性が生じてきたのである。

 そこで通常の仕事に取り組む手法を料理に適用しつつ考えてみた。 まず工学的な手法を料理に適用すると、料理の技術体系は以下のようになる。この分類ではなく別な分類も当然可能であるが、あまり細かく分類を議論しても仕方がないので当面はこの分類で話を進めてゆくことにする。

  1. 材料技術
  2. 配合技術
  3. プロセス技術(単位操作ともいう)
  4. 評価技術
  5. 設備技術

1) 材料技術
 素材の良し悪しにかかわることである。曰く何々はどこそこ産のどこの農家のものがよい、云々である。料理は素材で勝負が60〜80%決まるようなものであるから、これはプロの分野では当然差別化技術となる。しかしながら日常の経費が制限された家庭において、この素材へのこだわりは当然のことながら費用がかさみ、家庭経営が破綻してしまう可能性を秘めている。この分野へのこだわりは必要最小限の部分的なものとし、後は通常の家庭で使用される素材で戦う必要性があった。

2) 配合技術
 ついつい本職での名称を使用したが、世の中、物をつくる時に、いろいろな材料の組み合わせならびにその加工方法について記述することが当然のこととして存在している。料理においてもしかりである。料理の世界ではこれがレシピという名称となる。通常工業社会における配合とまったく同じ意味を持つ。このレシピ通りに料理しても、実際にはプロとアマで差が生じる。その理由はプロセス技術にある。レシピだけでは、料理の全てが言い表されていないにもかかわらず、それでもレシピのみがもてはやされているのは何故であろうか? 

またほとんどのレシピはその分量が明確に記載されている。これも私にはひっかかるところである。肉が100gのところを自分は肉が大好きだから500gにしても構わないのではないか?そういったアバウトさがこのレシピというものにはかけているよう私には感じられた。アローアンスの概念がほとんどないのである。もちろんg単位での管理が必要な分野もある。料理の世界では多分お菓子の世界であると私は理解している。だが、その他の日常のお総菜を作る場合において厳密なレシピは不要であり、かつ目分量というアバウトさで料理してもかまわないはずである。ただ逆説的だが、それでもなお黄金の配合比であるレシピというものは存在する。これは過去の英知が継続してきた結果であるから敢えてこれを無視する必要もない。

こんなことを考え、レシピに関しての自分の目標は、その配合比を見ただけで味の組立ができ、かつしかるべきプロセスのかんどころが思い浮かぶことができるようになれば、主婦(主夫)としては十分であろう、と考えた。

3) プロセス技術
 これはものを製造するとはどういうことかということを考えると自ずとわかる。製品は、素材をある製造(加工)プロセスを経て加工を加えてできあがる。つまりこのプロセスが付加価値をもたらしているのである。このプロセスはメーカーの技術力であり、かつ素材の差別化が困難な場合は非常に重要な技術となる。私が大学で専攻した化学工学は、これらプロセス技術を主体に学ぶところ、といっても間違いではない。ある最終製品を作る際に、どのプロセスを選択するか、あるいはどういったプロセスを開発するかが問題となる。一般のレシピはこのプロセス技術にはあまり触れられず、配合割合の記載に注力がさかれているように感じられる。

配合はあくまで基本であり材料の素材の差を除外すれば、配合技術でも述べたが、このプロセス技術がプロとアマを分ける技術になる。これを如何にマスターするかが主夫としてやってゆく場合の重要なポイントとなる。

4) 評価技術
 料理でいえば、味についてどの程度までわかることができるかである。これについては天性のものと育ちの両方がある。微妙な味の判別ができない料理人は大成すべくもない。これについては自分の舌以外に多くの第3者の厳しい批判を受けなければなるまい。

5) 設備技術
 包丁、冷蔵庫などの料理の関係する様々な道具、設備をさす。「弘法は筆を選ぶ」のである。よく研がれた包丁でさしみを切るのと、なまくらな包丁で刺身をきるのとでは、結果がまったく異なる。よく研いだ同じ包丁を用いた場合、プロとアマとの差は技術面で当然でてくるが、それはある意味では仕方がない。しかし道具において差が生じているということは、緒戦においてもはや負けていることと同義であり、その後いくら努力しようと結果は明白である。よい設備・道具は料理をする上で有力なツールであり、料理を快適なものへと変えるものでもある。


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Contents copyright 1996 Mitsuo Sugawara